言いだしっぺの人

← にも掲げてますが、MIAUが展開中の大感謝祭関連。
今回の企画の発案者、白田秀彰氏がご自身のサイトに「今年の感謝の気持ち」と題した文章を公開されてます。
 
今年の感謝の気持ち(白田の情報法研究報告/白田秀彰

なお、いずれもYoutubeニコニコ動画を経由して視聴したもので、そうした行為について、いろいろと批判的な方がいらっしゃることもよく理解しておりますし、そこに掲載されている作品の著作権であるとか著作者人格権とか、そういうものに関していろいろと問題があることも理解しております。しかしここでの紹介は、私が感動した諸作品について論評するにあたって必要な「公正な引用」の範囲にあるものと考えます。私は、私の愛した作品について感謝を捧げ紹介することを禁ずるほど、著作権法が非文化的・反芸術的な制度でないと信じます。
さらに、私はここで紹介する諸作品について、より高品質なバージョンをしかるべき価格で購入したいと考えているのですが、どこにおいても購入する手段や経路が存在しないのではないかと私は思います。そうであるならば、こうした動画共有サービスは、これまでのメディアでは提供することができなかった価値と感動を作り出すことに成功している、独立した領域のメディアであることを証明しているのではないでしょうか。

ここまで読んだ時点で、涙がこぼれかけた。
 
私は、インターネット開闢前の。
パソコン通信の時代から、ネットの世界に出入りしてる。
 
その頃から、「この世に良い人と悪い人は同数」と、呟いていた。
尊敬する人に出会うこともあったけど。
相容れる余地のない人と出くわすこともあったから。
 
ネットを、サブカルチャーとして、正等に評価できないのも、そのせいらしい。
マイナスイメージは、それを倍するプラスイメージすら、たやすく打ち砕くものだから。
 
なによりも、私自身が、「バカの壁」を乗り越えようとせず。
インターネットアクティブユーザーの道を絶っていた。
「世間」とやらが押しつけた、ネットに対する烙印を、なにより私が承認していた。
 
自分が大事にしたいと思っている世界が。
同時に、どうしようもなく腐れた世界と思っていたから。
 
 
それでも。
どこか心の片隅で、夢と科学の詰まった「something else」をネットに感じ続けているから。
 
だから、シンプルに。
ネットに漂う「something else」を、正等に評価されるという、それだけで、涙が溢れるんだと思う。
 
 
……あ゛ー。
自分に文章力がないのが悔しいし、読んでくれた人に何も伝わらないだろうことを絶望してる私がいる。
とりあえず、書き上げてみたけど……明日、私がこの文書を読んで、何を書いてるのか分からんと思ったら、まとめて消そうと思う。
 
せめて、翌日の自分に、胸張って読ませられる文書が書けるようになりたい。
多分、私は、誰よりも、自分に読ませたくて、文書を書いている人だから。
 
 
……って言っても、昨日の自分に感謝するほどのナルシストでもないし、12月にもなったしで、早いとこ、私も「今年の感謝の気持ち」を書き上げるようにしなきゃなぁ。