自虐史観に関する、引用しまくりエントリー

日本人は自虐史観に侵されている。
この「自虐史観」ってのが、どーしても、よく分かんなかった。
 
第二次世界大戦では、マニラを始め、東南アジアの大半を戦場にして連合国と戦闘し、地元民への被害も出した。
 
そりゃ、「ごめんなさい」から始まるのは、仕方ないよなぁ、と思ってたんだけど。
 
ところが、東南アジアの国々は、そんなに日本を責めてない。
先の、韓国は“なぜ”反日か? に書いてるのが事実ならば、だけど。

ビルマ バーモウ首相
「約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以って此等の戦争を遂行せり。愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来たれり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。
ビルマ人はアジアを統合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが、ついにこれを大日本帝国に発見せり。
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり。(独立宣言より)」

「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本が統治下で施した“教育”の成果です。……ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、自分たちでモノを作ることを学ぱせてもらえなかった。人々は鉛筆すら作ることができなかったのですよ。アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした」
これまでフィリピンが“親米反日的”と思われてきたのは、大東亜戦争でこの地が日米両軍の決戦場となったからにほかならない。日本軍はこの地で約50万人(全戦没者の約4分の1)の将兵を失ったが、戦場となったフィリピンの人々は一般市民を含む180万人が犠牲となった。
ところが、こうしたフィリピン人犠牲者の多くは、アメリカ軍の無差別爆撃や艦砲射撃によるものだったのである。むろん、この事実を地元の人々が知らないわけがない。日本人にとってのこうした“初耳”は、数え上げれぱ枚挙にいとまがない。
日米の攻防戦が繰り広げられたサマット山頂の博物館には、日本軍が地元住民に医療処置を施し、友好的な交流があった事実を物語る写真が堂々と掲げられてもいる。在比邦人何けテレビ局「WINSチヤンネル」のキャスターでウインズ・インターナショナルの社長・水島総氏(51)は、このあたりについて次のように説明する。
「フィリピン人は日本で伝えられているような“反日”などではなく、むしろ親日的ですよ…。フィリピンの人々は戦争に対しては日本人よりも“リアリスト”です。戦争があれぱ多少なりとも悲劇はあると、現実的な考え方をしています。ですからフィリピンの人々は日本を責めようなどとは思っていません」

自虐とは。自分で自分を痛めつけること(三省堂提供「大辞林 第二版」より)
つまり、自分がやったことを、悪い面だけを評価して、逆に良い面に関して全く考察しないこと。
 
私も戦争には反対する。決して賛美はしない。
だが、自らの行為を振り返るときに、客観的な評価を行うときに、一方的に自虐になる必要はない。

★マレーシア ガザリー・シャフェー 元外相
「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。
大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ?

私も戦争には反対する。決して賛美はしない。
東南アジアへの侵攻が、決して、民族独立のためではなく、油源確保の為だと言うのも知っている。
それでも、客観的な評価に自虐は必要はない。
 
客観的な評価とは、そういうことなんだ。

当時アメリカは日本を仮想敵国とする計画(オレンジ計画)があり、初めから先に手を出させるつもりで「ハル・ノート」という脅迫的な最後通牒を送っている。その内容は“日本がそれまで蓄積してきた海外権益を放棄せよ”という宣戦布告であり、日本は防衛のために戦わざるを得ず、日本の戦争が正当防衛であり侵略ではないことを戦後アメリカ自身が認めている

・・・。
ハル・ノート」や脅迫的な最後通牒のことは知ってたけど、アメリカが日本の正当防衛を認めてるのは知らなかった。
 
そっか。
私は韓国人を笑えない。
マインドコントロールされていたのは私もだ。
 
さぁ。
見直すか。