世の中、本当と嘘、善人と悪人は同数。だから面白い

まるなげー
 
東京新聞の電波てんこ盛り社説登場 (mumurブルログ)
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50441045.html
 
東京新聞は、どうでもよろしい。
mumurさんのコメントが、インターネットを、端的に表現していて、面白かった。

直接の当事者ではない戦後生まれの日本人に対して、「日本は加害者でアジアは被害者」「日本は強者で中国・韓国は弱者」という図式を理解させる根拠が全部パーになってしまったわけだ。
更には、教科書やマスコミが伝えない歴史を自分で調べる人間が多数出現してしまった。
 
ここでネットの問題に話題を移してみる。
ネットの問題点について「嘘が溢れかえっている」と言われることがあるが、これは不正確である。「嘘から真実まであらゆる情報が転がっている」と言うのが正しい。
マスコミは、(情報に対して)受動的な人にとっては楽チンなツールであるが、(情報に対して)能動的な人には物足りない。逆に、ネットは受動的な人にとっては危険極まりないツールであるが、能動的な人にとっては宝の山である。
 
上では、受動的な人・能動的な人の2タイプに分類しているが、本来は能動的な人というのはそう多くないと思われる。何故なら、情報を積極的に探すと言うのは面倒くさいから。
ただ、「面倒くささ」というのは「面白さ」と表裏一体で、本人が「面白い」と思っている趣味は、他人からは「面倒くさい」ことに見える。マニアの行動と言うのは、他人からは理解しがたいものなのである。
 
話を元に戻す。
「教科書やマスコミが伝えない歴史を自分で調べる人間が多数出現した」と書いたが、これは言うまでもなく面倒くさいことである。とてつもなく。
しかし、面白いのである。とてつもなく。
 
ある人はWCのマスコミ報道に疑問を感じて、ある人は小林よしのり戦争論を読んで、ある人は剣道の起源問題を知って、能動的に情報を調べ始める。一旦足を踏み入れると、その面白さから離れられない。
当然のことだが、面白いモノには人が集まる。これが「右傾化」「嫌中」「嫌韓」の実態。

数学とか物理とか・・・もっと単純に、クイズとか推理小説とかでもいいわ。下記のような感覚は、誰でも感じたことがあると思う。
 
いくつかの手がかりが与えられているけど、それらは全体を見渡すと、未だに「点」と「点」。
それだけじゃ視えてこないんだけど、当人の経験から得られた知識なり、直感的な洞察なり、更なる調査による新たなる「点」の発見なりを積み重ねてると。
ある時、突然、「点」が「線」に視える。
で、試しに、「線」に沿って「点」があるか探してみる。
そこで、予測した地点に「点」を発見したら、思考が加速して、頭の中の自問自答が追いつかなくなる。
擬音で言うと、「ぴーーーん」って奴。もはや、日本語では表現が追いつかない、「あぁあぁぁぁっ!」って奴。
 
これが快感。
ここで、「線」が視えた瞬間、更に、「線」が「面」、「面」が「立体」にまで連なっていることに気づくと、もう現実世界のトロくさい時間感覚に戻ってこれないぐらいの思考疾走が始まる。
 
まぁ、大抵、この手の思考疾走は、どっかで脱線して、間違えてると気づくまでに、かなりの距離を走り続けて、やがて、かなりの距離を「おっかしーなー」と頭を掻きながら戻ってくることになるんだけど。
 
mumurさんのコメントを見ていると、何となく、この思考疾走を思い出した。
 
・・・え゛。そんな感覚、感じたことがない?
私、よくあるよ?(汗)