端的に言われた

mumurブログ
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50590816.html

朝鮮朱子学においては「犯罪者であっても身内は庇う」というのが美徳とされている。
一方日本的な美学では、「身内だからこそ犯罪者に厳しく接する」のが当然とされる。息子が犯罪を犯したら父親が「バカヤロー」と殴りつけ、周囲が静止するほどボコボコにする。最近はあまりないのかもしれないけど。でも、一応これでケジメがついて、社会復帰への道が開ける。父親が息子を擁護しようものなら、その場で文句を言う奴はいないだろうけど、地域での居場所がなくなる。
「身内の犯罪者を庇う」というのと「身内だからこそ犯罪者に厳しく接する」というのは、どちらが絶対的に正しいと言う性質のものではなくて単なる文化の違いと言えるが、重要なのはここは日本だと言うこと。
日本に住みたいなら、日本の文化・習慣を外国人が尊重しなければならない。日本の文化・習慣に従えないなら、「よそへ行ってください」ということになる。だからmumurは朝鮮総連朝鮮学校に「祖国のミサイル発射を非難しないんですか?」と問うてきたわけで。

あ。
 
他者に罰される前に、身内が罰する。
他者に束縛される前に、身内が束縛する。
身内が罰を与え、束縛することで、他者の介入から対象を保護する。
身内の与えた罰と束縛で、迷惑をかけられた当事者が納得する。
 
「身内に厳しく」って、日本人的な物の考え方だったのか。
 
だから、自分の子供の襟を正さず、「お前が悪いんじゃ」と居直る親に腹が立つのか。
自分の行動を正さず、相手のせいにする、「自分かわいさ」の言動がなにより許せないのか。
 
(追記)
先のBlogのコメント。

「身内だからこそ犯罪者に厳しく接する」というのは,日本でお上の裁きや社会共通の価値観がおおむね公正なものだったからであり、お上自らが率先して法律を遵守する清廉な態度を貫き、日本人が一般庶民に至るまで強い相互信頼で結ばれて来た、幸運な歴史の産物でしょう。
「身内の犯罪者を庇う」というのは、支那・朝鮮ではお上の裁きが恣意的で、法律もいい加減な朝令暮改なもので遵法精神などお題目に過ぎず、庶民は庶民でお互い盗み合い、殺し合い、だまし合い、裏切りあうために相互信頼などカケラもなく、身内以外誰も信用できなかった、悲しい歴史の産物でしょう。
国際的に通用するのは後者の方でしょうが、日本人に生まれて良かったと思います。

お人よしなんだよね、結局。