アニメ見る前に「いただきます」

これ作り手を“やる気”にさせる著作権とは――島本和彦氏など語る)の続き。
 
いろいろ議論されてるけど、下記のBlogを読んで、思うところが二件あった。
 
尊敬と銭(地を這う難破船)

尊敬に金は派生しうるが、金に尊敬は派生しえない。

私はゲームという、電源あり/なしに関わらず嗜んでいて……オフラインでスパロボOG外伝をやりつつ、パソコンつけてサカつくOnlineのチーム調整をして、昨日辺りはTRPGゲームマスターとして出かけてたりしたのですが……ドイツボードゲームにも関心があって、押入れのかなりのスペースがボードゲームで埋まってる。
 
その中に、「ブラフ」という傑作ゲームがある。
各プレイヤーは自分の振ったサイコロしか確認できない条件下で、30個のサイコロのうち指定した目の出ているサイコロは何個かを推測するゲームです。
 
このゲームは、最初、単に確率論の、あるいは、運がいいか悪いか試すだけのゲームと思われるかもしれない。
続いて、意地の張り合い……誰が一番先に「振りなおし」を放棄してギブアップするか、という、チキンレースのようなゲームと理解されるだろう。
しかし、最後には、「ブラフの言い合い」「ブラフの見破りあい」のゲームになる……にも関わらず最後の最後で「引きの強さ」が関わってきて、全ての計算をぶち壊してくれるのは、サイコロを使うゲームの面白いとこだと思う。
 
で。
このゲーム、ぶっちゃけ、サイコロ31個と、一枚の紙と、紙コップ6個もあれば、コピーできる。
あまりに単純なので、パソコンのソフトにして、オンライン対戦可能ソフトに仕立てるのも、誠に簡単だろう。
Wikipediaでも、「ゲームのルールを詳細に記述すると、ゲームの複製が容易に可能になってしまう。本ゲームは現在発売中のものであるため、複製可能な記述は避けている。 」と注釈があるくらいです。
いくら輸入ゲームでも、いくら豪華装丁でも、このゲームに5000円前後出すのは、ちょっとどうかと思うことすらある。
 
でも私は支払う。
私は、このゲームが面白いと思ってるし、当然、ゲームデザイナーに敬意を表している。
だから、コピーせずに代金を支払うことは、ドイツボードゲーム・プレイヤーとしてのプライドだとすら思っている。

「マニア」と自らを名乗るものはその「称号」にふさわしく、誰しも「歌舞伎の六代目菊五郎」の意識と「見識」を持て、と。いうまでもなく、六代目菊五郎は、「同業者の舞台」を「ちゃんと料金を払」わずとも見ることができた。いかなる風体で歌舞伎座に足を運ぼうが、いわば「顔パス」である、とは言えた。にもかかわらず。というのが要点。

……「あ、この感覚か」と、私は、この文章に共感した。
 
 
もう一件。そういえば、と思い出した。
 
いただきます、という習慣

ふとしたことで、今日の毎日新聞を見ていると、生活か何かのコーナーで見かけた話。
学校に対して、「お金を払っているんだから、給食で子供に「いただきます」と言わせないで欲しい」と申し入れた母親がいたそうな。
(中略)
「お金を払っているんだから」=「私は客だから、礼を言う必要も、いただきますなんて言う義理もない」という意見は初めて聞いた。

……これを例えとすると、YouTubeなどには「私は客だから、料理が不味ければ、代金を支払う気はない」「料金がほしければ、もっと旨い料理をよこせ」「タダだから食べている」と言って、コンテンツを払わないままに堂々としている人がいるような気がする。
まるで「ご飯不味い」とダダをこねつつ、結局は夕飯を平らげる or 親の金でお菓子を買ってきて食べる子供だ。
「いただきます」という感覚がないままにコンテンツを消費するユーザーが多いのではないか……島本和彦氏の言いたいことは、そういうことだったのかな、と考えている。
 
ただ、

食堂とかは、食事自体だけではなく、接客サービス自体にもお金を出していると考えるので、食事だけ供給されれば、店員の態度なんかどうでもいいんだよ、なんてお店は、心得違いをしていると思う。ここに異論はないと思う。

と以前にも書いたように、コンテンツ以外の部分で、心得違いしている業界人・著作権者もいるような気がしていて、そういう人達とMIAUは話し合っていかなければならないのだと思う。
 
 
少し話がずれるけど、ケータイ・フィルタリングの話。
「まぢわかんない」「悪い大人を取り締まって」――携帯フィルタリングに未成年者の反応はITmedia

「フィルタリングってどういうこと? 誰か教えて」「モバゲーにアクセスできなくなるってほんと?」「何それ?」「まぢわかんない」

……調べろよ。
限られた資料から、間違いのない情報を引き出し、自分の言葉で理解して、足りない資料が何か、どこを調べに行けば情報が引き出せそうかを考える……これは、人として文化的な生活を営むのに基礎的な技術だと思っている。
教科書見れば全ての知識が載ってるとか、英語の辞書を開けば自分の知りたいフレーズが一言一句載っているとか、そんな世の中じゃないのは、五秒で分かるでしょうに……前から言ってるけど、学校の勉強って、「何を学ぶか」はどうでもよくて、「どうやって学ぶか」を身につけることが重要だと思っています。
だから。調べろ。
そうしなければ、TVを見て納豆を買いあさる主婦や、国家とマスコミに扇動されて他国の国旗を燃やして歓声をあげる他国民と同類だ。

非公式サイト見れなくなって歌(着うた)とかメロ(着メロ)も金払わないと取れないのが一番うざい

本音なんだろうけど、こういう意見が一番うざい。
 
金を払いたくなければ、TVの音楽番組から音声データを抽出すればいいじゃないか。
昔のゲーセンには、ラジカセをゲーム筐体のスピーカーに押し付けて、ゲームミュージックを録音してた人いたぞ。
 
そういう手間すら惜しむなら、「いただきます」という感覚を失った、音楽をバカにした発言と言うしかない。
 
先日来、教育が、教育を、と言っていたけど。
飲料水が、人手を介さずに、タダでいくらでも流れてくる訳ではないように。
本当に必要なのは、コンテンツを前にして「いただきます」と感謝をする心を根付けさせることなのかもしれない。
 
精神論というより、シャーマニズムな話になっちゃって、地に足のついた話じゃないなぁ……。