たまにはライトノベルも読むわけで

山本弘というSF作家がいる。私の人生を少なくとも二度、多ければ三回から五回ほど、軌道修正した人。
いや、その人が私に直接何か手を出した訳ではなく。私の人生において「こんな世界があるのか?!」と視野を広げてくれた本が何冊だか十何冊だかあって、その中でも重要なターニングポイントに当たる書籍の著者欄に、たまたま「山本弘」とあっただけで。
 
「と学会」を知ったのも友人が「トンデモの世界R」だか何だったかを持ってきたのが最初だったが、「他人の書いた本をあざ笑ってるだけの、ケチな書評本でしょ?」と、しばらくは手に取る事もしなかった。
順番から言うと、その友人が別の日に持ってきた(というより部屋に転がしていた)一冊のトンデモ本の方を読み流し、「この本の、この辺の説明、何か論理がおかしくない?」と、友人に尋ね返したのが先だった。
あぁ なんと 純真だったんだろうよ! 私はその時まで、同人誌ならともかく、曲がりなりにも出版社から出ている本の内容は全て「正しい」、あるいは、間違いがあったとしても速やかに訂正されているもの、と考えていた!
嘘を嘘と見抜けない学生であった! やむなしかもしれない。当時はインターネット時代の到来の前なのだから。
なんにしろ、改めて「と学会」の本を読むようになり、「笑うことしか出来ない」本が、この世に無数にあることが分かる。自分の想像を絶する素晴らしい発想力の人々がいることを知る。それも、彼らはマジで信じている! 彼らはSF作家でもなければ、フィクション作家ですらない! Amazing!
 
「と学会」とトンデモ本に理解を示して、はや幾年か。
書店で、二年ほど前に出版された「トンデモ本? 違う、SFだ!」という山本弘氏の著書を見かける。まぁ、暇なんで、手に取った。
SFの紹介本なんだが、そこに「涼宮ハルヒの憂鬱」が紹介されていた。奥付の出版日を改めて確認するに、この紹介本の出版は「涼宮ハルヒの憂鬱」出版の数ヶ月後だったらしく、続編に関してはコメントされていなかった。
 
なんか、うざうざと紹介されている。なにやら面白いとか言っている。
どーせ、ライトノベル。安いもんだろ、と思って書店に行ったら、平積みで続編含め六冊置いてあった。「涼宮ハルヒの憂鬱」以降、「涼宮ハルヒの溜息/退屈/消失/暴走/動揺」と五冊出てて、9/1には「陰謀」も出る上、アニメ企画も進行中らしい。
つまり、売れている。
あぁ、さいでっか。どうも、私は、この手の流行りには疎いようで。まぁ、興味がなければ話題も耳に入らない、ってことにして。
とりあえず、三冊買って帰り、ちまちま読む。
 
一人称で書かれた男子高校生視点の物語。
高校生ともなると、この世というものは、サンタクロースはおろか、宇宙人も超能力者もタイムトラベラーも異世界人もいない、「普通な世界」と認識してしまうもので、主人公の「キョン」(幸か不幸か誰からも本名で呼ばれないので、あだ名しか分からない)もそういう、普通の高校生。
で、たまたま席が隣だから、という理由で、タイトルにもある涼宮ハルヒに関わってしまう。彼女は、「この世には宇宙人も超能力者もタイムトラベラーも異世界人もいる、んだけど、単に見つからないだけ」と考えていて、積極的に宇宙人(略)を探し出そうと頑張っている。
・・・目標は「宇宙人(略)と一緒に遊ぶこと」。それだけ。
 
そいつは楽しそうだね。はっはっは
 
けれど、山本弘氏も前著で記しているし、劇中のハルヒも嘆いているが。
「どうして世界はこんなに平凡なのか」。
この嘆きは、私にも分かるような気がする。
宇宙人(略)がやってくる、という展開だけではない。世の中には世界征服を目論む秘密結社も正義の味方もありはしない。ドラマチックな恋愛劇も経験なければ、幽霊も見たことないし、密室殺人事件に出くわすこともない上、第九が鳴り響くビルを疾走することもない・・・自分的にはトピックスな出来事ですら、世の中にはありふれた話の「平凡な毎日」。
いつになったら、「平凡」な毎日が抜け出せるのだろうか? そう考えたことがない、と言い切れる人がいるだろうか?
 
ハルヒは、たまたま出かけたスタジアムの数万人の観衆を目にして、日々の生活をそれなりに波乱万丈に送っている「自分」という存在が、にもかかわらず、決して特別なものではなく、選ばれたものではなく・・・むしろ、「その他大勢」に含まれることを知り、愕然とする。
恐怖と言い換えてもいい。自分が「特別」でなければ、それは早かれ遅かれ、忘れ去られるということ。いたのかいなかったのか、戸籍簿でもひっくり返さない限り分からないということ、に直結するからだ。
だから、ハルヒは「何か」がやってきて自分を「平凡」な毎日から連れ出してくれるのを待つのではなく。自分から「何か」を探しに行くようになる。
 
ハルヒはとにかく突き進む。天衣無縫な発想力と、傍若無人な性格、猪突猛進な行動力で、主人公 他 三名を巻き込みながら。「何か」を探す為に町を歩く。宇宙にだってメッセージを送る。季節外れな転校生を「謎の転校生」と決め付けて、仲間にする。
とにかく、走り回る。そして、世界がやっぱり「平凡」なのを確認する。
 
ただ。自分の取り巻きのうち、主人公を除く他 三名が、実は宇宙人と超能力者とタイムトラベラーで、世界を滅ぼす力すら持ち合わせているハルヒを密かに監視している、ということをハルヒ自身は知らない・・・という感じの話。
 
・・・。
最後の最後で、なんだそりゃ、と思うかもしれないけど、そういう設定がないと、小説として成立しないし。
 
ちまちまと読み進む。
「憂鬱」。なんか、「いつになったら登場人物や舞台設定の説明が終わるんだろう」と思っていたら、唐突に事件が発生して、いつの間にか主人公が決断し、唐突にオチに雪崩込む・・・はて。なんか、舌足らずな感じ。シリーズ全般通して、ハルヒの破天荒な企画と、それを達成しようと頑張る主人公達、という流れはいいんだけど、「これ、クライマックスはいつ始まるの?」という展開は、TRPGでミッション放り出して脇道で楽しんでいるPC達を、内心あせりながら時計を気にしているGMの如し。

「溜息」。今回は舞台設定は紹介済みなので、最初から「事件」は、ほのめかされる。そして、オチはラストまで引き伸ばされる・・・短編はともかく、中編でよかったんじゃないか、このネタ。

「退屈」は短編集。あぁ、宇宙人(略)と、ハルヒっていう時限信管のぶっ壊れた核爆弾が学校生活していれば、こんな話になるかなぁ、という程度。あぁ、「憂鬱」にあったショートエピソードを拾って短編に仕立てたのね、というぐらいの話もある・・・GM的観点からは既に提示された内容で、色々話作れそうだな、と感じたり。
ただ、この辺になると、ハルヒが「その他大勢」の恐怖から解き放たれつつあるように感じる。SOS団という集まりで好き放題するのに忙しいおかげか、宇宙人(略)を探さなくなってきている。劇中でも、超能力者は「いい傾向だ」と評価し、主人公は「いい迷惑だ」と言ってるけどね。
 
ここまでが初日。
翌日、今ひとつ、釈然としない思いのままに、残りの三冊買って帰り、ちまちま読む。
 
「消失」。
これだーーーーーーっ。
冒頭で事件は提示される。そして、「どーすんだ、この状況」と、主人公ともどもギブアップ宣言寸前のままで読み進むことが出来る。展開は読者の予想の半分は沿いつつも、残り半分はその予想の斜め上をカッとんでいる。ラストはちゃんとオチてる。
なにより。「憂鬱」「溜息」で唐突に感じて不満に感じていた、主人公の「選択」が長編を通して描写される。
物語中盤から選択肢を突きつけられる主人公。悩みながら、自分は馬鹿じゃないのかと苦笑いしながら、一方を選択する主人公。
そう、この選択を行う時の葛藤こそ、私が読みたかったもの!
ここで、改めて「憂鬱」を読み返すと、ハルヒの全く意味不明な言動に、因果関係が浮かび上がる。主人公は、ステータス的には「ただのただ人」だが、決して、「その他大勢」ではない、やはり「主人公」だったことが判明する・・・言い換えると、前三作は「消失」のプロローグと言っていいんじゃないのか、というぐらい、この巻が気に入った!
だから、「知らなかったのは、お前だけだ」とそしりを受けるのを承知で、こんな紹介文を書いている!
  
「暴走」「動揺」は短編集なので、さしてこともなし。「退屈」同様、後の長編につながっていきそうな話もある。
ただ、「暴走」には、つまらない短編がある。理想郷を選ぶか現実を選ぶか、という選択は、既に「消失」で示されているものであり、今更、新しいものを付け加えるものではない。あまり、ネタをかぶらせない方がいいのではないか。
また、つまんない映画の内容を、わざわざ説明せんでも。こんな前にも後ろにも進んでいかない文章、よく雑誌掲載したな。
・・・短編で、対朝倉戦のネタをやったら、かなりゲンナリするぞ。読者が想像するストーリーの斜め上をカッ飛んでいくようならいいけど。
 
次の「陰謀」は長編と聞く。楽しみにして待っていよう。