忙しいけど、記さねば

授業前10分 教科書検定問題学ぶ/南風原高沖縄タイムス

高校生の視点で検定問題を考えようと、国語科の仲村将義教諭を中心に数人の教諭らが沖縄タイムスなどに掲載された記事をピックアップ。八時五十分から十分間の「読書タイム」に、黙読し各自で問題の背景などを考えている。
一年五組(担任・具志堅忠教諭)では二十一日、約四十人が、渡嘉敷島で起きた「集団自決」について金城重明さんの体験を紹介する記事などを読んだ。
上里真央さん(15)は「『集団自決』が起きたことを沖縄だけでなく、日本全体の問題として考えてほしい。本当に起きた事を正しく伝えていかなければ、次の世代は沖縄戦で何が起きたのか分からなくなってしまう」と危惧した。
一方、普段から新聞を読まず、あまり関心を示さない生徒もいるという。国語科の兼久直教諭は「もし自分の好きな彼氏が殺され、後で『殺しはなかったことになりました』と言われたらどう思うか?」と生徒らに問い掛ける。
「たとえ関心を示さない生徒でも、身近な人に置き換えて考えれば、無関心では済まされない事だと分かってもらえる」と話す。

待ってよ。
上里さんは、何が問題になっているのか、全く分かっていない。
そして、兼久直教諭の例えは、全く意味が分からない。
 
まず前者から。
集団自決の記述は教科書からなくなっていない。集団自決が起きたことは、日本全体が認めてます。
そして、その悲劇は語り継がれるだろうことも間違いない。
 
”集団自決に軍関与”を削除(NHKオンライン

このうち、清水書院日本史Bでは「中には日本軍に集団自決を強制された人もいた」という記述に対して、「日本軍が住民に集団自決の命令を出したかどうか明らかでない」として、検定意見がつきました。その結果、「中には集団自決に追い込まれた人々もいた」と「日本軍に」という言葉を削除する形で修正されました。
また、山川出版の日本史Aの「日本軍によって壕(ごう)を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」という記述は、「その中には日本軍に壕(ごう)から追い出されたり、自決した住民もいた」と修正され、すべての教科書から集団自決に関する日本軍の直接的な関与が削除されました。

論点は、「軍命があったかどうか」。
硫黄島でも、占守島でも実施していた、民間人疎開が沖縄では実施されなかったことについて、軍に責任がないことは以前、説明しましたが。
更に「いざというときは死ね」という指示が軍から命令として出ていたかどうかが鍵となります。
 
 
で、後者。
私が考えるに、「彼氏が殺され、犯人を被害者親族で吊るし上げた後、犯人に有罪判決を叩き付け、事件について石碑を立てていたが、『新たな目撃者が名乗り出た*1。実は自殺かもしれない』と言われたので、石碑を撤去することにした」ぐらいな話。
 
被告にとって有利な証言が出てきたのだから、当然、被告には、再審の権利がある。
そして、再審では、推定無罪の原則により、検察側に被告の犯罪を立証する義務が発生する。
更に被告が無罪になったのなら、被害者サイドは「冤罪」の名の下に、犯人に対して頭を下げるべきである。
 
はよ、国は、再審請求しなさい。それも、大々的に。
事なかれ主義で回避せずに、何が事実なのか、さっさと決着をつけるべきです。
 
 
とりあえず、個人が請求した再審法廷は開始されています。
那覇であす「集団自決」訴訟出張法廷/金城重明氏証言沖縄タイムス

沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、住民に命令を出したと著作に記されて名誉を傷つけられているとして、旧日本軍の戦隊長だった梅澤裕氏(90)らが作家の大江健三郎氏と岩波書店に、出版の差し止めなどを求めて大阪地裁で争われている訴訟の所在尋問(出張法廷)が十日、福岡高裁那覇支部の法廷である。渡嘉敷島で「集団自決」を経験した金城重明氏(78)が被告・岩波側の証人として出廷。原告と被告双方の質問に答える。法廷は非公開。
渡嘉敷島では米軍が上陸した翌日の一九四五年三月二十八日、「集団自決」が起きた。犠牲者は三百二十九人に上るとみられる。金城氏は当時十六歳。母や弟、妹に手をかけた体験を通して、軍の命令や強制、誘導なしに「集団自決」は起こり得なかったことを訴えている。
大阪地裁で七月に行われた証人尋問では、渡嘉敷島に駐屯していた部隊の戦隊長だった故赤松嘉次氏が住民に「集団自決」を命じたかをめぐり、原告側の証人として当時の副官や中隊長ら二人が「命令はしていない」と証言。金城氏は、これに相対する被告側の証人と位置付けられる。

この話、非公開なだけに、その後どうなったのか、情報がないのな……。
 
 
で。 
何で改めてエントリーにしたかと言うと。
そりゃまぁ、29日にあった県民大会の話もありますけど。
 
私はこれみたいに、他人のアイデンティティに関わる内容まで踏み込んで、真実を追究するのには賛同しない。
たとえ、「戦争で無差別攻撃を受けたのは沖縄だけではない。もちろん、広島・長崎だけではない。だから、自分達こそ戦争の被害者という自負は間違っている」ということを私自身が感じていても、真実追求を至上に置かないのも仕方ない、と思う。
だから、自分自身が何を信じようが構いはしない。
 
でも、子供に嘘を教えるな。
 
てことで、長きに渡る自虐史観に満ちた教育に騙されていた私の、私怨の篭ったエントリーです。

*1:なんだこれ、と思うかも知んないけど、下の方に記事があります