任天堂前社長の山内溥相談役死去

任天堂前社長の山内溥相談役死去 「ファミコン」発売、世界的ゲーム企業に育てる(MSN)

2013.9.19 18:06
任天堂を世界的なテレビゲームメーカーに押し上げた前社長で、相談役の山内溥(やまうち・ひろし)氏が19日、肺炎のため死去した。85歳。京都市出身。通夜は21日午後6時、葬儀・告別式は22日午後1時、京都市南区上鳥羽鉾立町11の1、任天堂本社で。喪主は長男、克仁(かつひと)氏。
早大在学中の昭和24(1949)年、先代社長で祖父の積良氏が病に倒れたことを受け、22歳で社長に就任。平成14年に取締役相談役に退くまで半世紀余り、社長を務めた。
昭和58(1983)年に家庭用テレビゲーム機ファミリーコンピュータ」を発売。ファミコンの愛称で親しまれ、日本中にブームを巻き起こした。ファミコンの後も携帯型ゲーム「ゲームボーイ」など新商品を次々開発。それまで花札、カードゲームのメーカーだった任天堂を世界的なゲームメーカーに育て上げた。
平成14(2002)年に社長を退き、代表権のない取締役相談役に就任。溥氏まで3代続けて創業家出身者が社長を務めたが、後継者に当時42歳の岩田聡氏を指名し、話題を呼んだ。17年の取締役退任時には巨額の慰労金の受け取りを辞退するなど、引き際の見事さも際だった。
平成4年には、当時経営危機に陥っていた米メジャーリーグシアトル・マリナーズを買い取り、一時、オーナーになったこともある。20年に米経済専門誌フォーブスが発表した「日本の富豪」では、総資産78億ドル(現レートで約7670億円)で日本一の富豪とされた。

行動力と判断力がズバ抜けた偉人で。
現在のゲーム文化を築き上げた一柱に間違いなく。
多大な遺産を我々に残してくれました。
 
謹んで、ご冥福をお祈りします。