南京大屠殺

そろそろ、あちこちで引用されるようになってきたので、改めて紹介しなかったんだけど、どうしても紹介したいコラムがあったので、引用する。
 
政府に「屠殺」と刷り込まれた中国民衆(大礒正美の<よむ地球きる世界>)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5562/column/column067.html
 

文字の国である中国が、たった一字で、日本に対する計り知れない恨みを民衆に植え付けようとたくらみ、そして見事に成功した。なぜか日本人はそれを知らず、文字を商売にする活字メディアも、いまだに「屠殺」を「虐殺」と誤訳することで、かの国の最も成功した対外戦略に協力し続けているのである。

・・・呆れたよ。
南京大虐殺って、誤訳だったのか。
そりゃ、一向に解決せんわ。
 
我々は、中国の呼び方に従い、南京大屠殺と呼称変更するべきだ。
そして、その表記ひとつとっても捏造でしかないことを広く示すべきだ。
 
 
「コラム一覧に戻る」から元リンクを辿ると、他のコラムも、読みやすく、分かりやすく、かつ、視点が鋭い。
 
静岡県立大学の大礒教授。覚えておこうっと。
 
(追記)
献花台は絶好のイメージ教材

献花台に並ぶ人々は、犠牲者を悼むという心だけで足を運ぶ。そこに遺体もなければ墓もないことを知っている。「霊を慰める」という精神文化の表れである。
今回注目されるのは、運転士に相当大きなミスがあったのだろうと誰でも感じていることである。こういう場合、献花する人々はいちいち「運転士を除く犠牲者に捧げる」と口に出したり、そういうカードを付けて献花するだろうか。
そんな人はおそらく1人もいないだろう。そんなことを考えもしないのが日本人の特徴ではないだろうか。だから、神社というものが成立するのである。
日本全国、どこの神社に誰が祀られているのか、いちいち知っていて参拝する人がどれだけいるだろうか。
 
よく知られているように、神社には鎮魂の意味が込められている。だから、時の権力に刃向かった逆賊を祀った神社も珍しくない。出雲大社大和朝廷に滅ぼされた出雲王権を鎮魂するために創建された。勝者の大和朝廷は、自分たちの氏神である伊勢神宮より大きな神社を造って慰めた。日本人がふつうに知っているべき逸話である。

・・・!
 
言ってることは、ほかほか亭さんが先日コメントしていた、「みな死ねばカミ」なんだけど、教授の文章読んで、やっとピンときた。
理解力低いな、私。