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放課後、ゲームセンターで ─電子の精たちに捧ぐ─ゲームサイド

ゲーム&ウオッチマイコン、ゲームセンター、ファミコン、etc…。
少年期にゲームと出会い、ゲーム文化の成長と一緒に大人になった主人公の回想から語られる、ゲーム青春小説。
 
ゲームを夢中になって遊んで、悩んで、笑って、泣いた、ゲーム世代の「僕ら」が必死に過ごした、“リセット”や“再スタート”なんてできない、かけがえのない日々を描く。
 
ゲームサイド誌での3年に及ぶ連載原稿を、著者・箭本進一(やもとしんいち)が全編加筆修正の上、単行本化。表紙は同誌でも人気のイラストレーター・坂本みねぢ氏による描きおろし。

短編を連作したようなもので、ライトノベルではない。
小説というより、なんだろ、ドキュメンタリーに感じてしまう。
 
話がリアルなんだわ。
「あの頃」、小学生の男の子だったら、こんな体験をしてたんじゃないかな、という感覚。
 
なんだろう。
感慨深いんだけど、懐かしい、って訳じゃなくて。
「そーそー、そういうことあった。酷かったよねぇ、あの時代のゲーム!」って感覚か。
 
ゲーム&ウォッチ「ファイア」、PC-8801の名作STG「アルフォス」、RPGの金字塔「ザ・ブラックオニキス」、三画面筐体とボディソニックの「ダライアス」、セガ体感筐体「スーパーハングオン」、格闘ゲームの名作「ストリートファイター」、対戦格闘時代の盟主「ストリートファイター2」、ヒューマンの名作「スーパーファイヤープロレスリング」。
そして、「ドラゴンクエスト1」「2」「3」。
この辺を、アーケードなり、PC-8801なり、ファミコンなりで、初めて目にした時の衝撃、および、そのゲームと付き合っていく日々が、短編小説として書かれている。
 
いや、ぶっちゃけると、私は、この小説を読んで「この小説を紹介したい」と思って、この文章を書いている訳じゃない。
この小説を読んで、思い出したことを書き留めたいだけなんだ。
 
私は、多分、この小説が想定している「少年」より、数年遅く生まれているようだ。
デパードでカセットビジョンの試遊台に並んで「与作」をプレイしていた記憶はある。
でも、最初に両親に買って貰ったゲーム&ウォッチは「ファイア」(発売1980/7/31)ではなく、ワイドスクリーンシリーズ「ミッキーマウス」(発売1981/10/9)だ……って、たった1年違いか!
なんか、ゲームウォッチが世に出て、かなーり後に買ってもらった記憶があるんだが。
 
先の小説で主人公は、うっかり「ファイア」の液晶画面を叩き割ったが。
私のとこでも「ミッキーマウス」の液晶画面を割ってしまって、一度、修理に出した記憶がある。
あの時代、おもちゃ箱にゲームウォッチを入れて管理してた子供達は、一度ぐらい、液晶を叩き割ったことがあるんじゃなかろうか。
 
次に、ブラックオニキス。私がこのゲームを触る前に、RPGに既に出会っていた。
ログインという雑誌にプログラム掲載されていた「LABYRINTH ニスの財宝」(掲載 1984年)だ。
掲載日から見るに、私の父親がPC8801-Mk2(無印、発売1983年)を買った後、1年ほど色々なパソコンゲーム雑誌を放浪して、ログインに流れ着いた直後の話らしい。
今になって思うと、ウィザードリイの劣化コピーなんだろうが、要するに、3Dダンジョンに潜って来い、という内容だった。
なんで、このゲームに執着したのか、よく覚えてない。
とにかく、「これは面白そうだ」と思って、ひたすらプログラムを打ち込んだのは覚えてる。
最初はバグでまともに動かず、雑誌のプログラムと、パソコン画面のListを必死に見比べて。
ようやく、画面の左上の小さなワイヤーフレームの風景……最初はバグで「1歩前が壁」しか表示されてなかったんだが……がキー入力に従って動きだす。
意味が分からなかった。
ワイヤーフレームのダンジョン、もちろん、モノクロ。
自分の目の前で、何が起きてるのか理解するまで、すげー時間かかったが。
分かった瞬間、絶叫した。父親に必死に説明したが、全く伝わっていないようだった。
 
パソコンの中に。
迷宮が存在する!
その迷宮を、自分の作ったキャラが探検している!
しかも、行き当たりばったりの表示じゃなくて、元の位置に戻れば、当然のように元の風景が表示される!
(↑ まぁ、多分、これ、PC8801-MK2付属のゲーム「ミコとアケミのジャングルアドベンチャー」のトラウマなんだろうな。父親は、このゲームを迷路ゲームと理解してマッピングしつつ攻略していたが、私は簡素に「北…8 東…6 西…4 南…2」と出るだけの、画面が変わらない森の中で、何をすればいいのか分からずプレイ放棄した)
 
これを受けて、ブラックオニキスをやってたもんだから、3Dダンジョンには抵抗なかった。
けど、先の小説のように、井戸の底でクラーケンに殺されまくっていた。
で、ちまちまと墓場で地下1Fを探索し、多少は強くなっていたものの……あぁ、この部分で「強くなる」という経験値システムとかは理解してたんだな。
まぁ、それでも、クラーケンには勝てない。墓場の地下1Fで、レベルを1つや2つ上げても勝てる相手じゃない、確か、Lv7ぐらいは欲しかった気がする。
 
ところが、当時のPC8801ユーザーなら当たり前の話かもしれないし、父親がパソコンに興味があり友人達と交流していなかったら当たり前の話ではないのかもしれないが。
ゲームはコピーがどこからか回ってくるものだった。
だって、当時、「なんちゃらうぃざーど」とか「ろーたすなんちゃら」とかのバックアップソフトが正規ショップで売られていた時代だし。
まして、父親はアマチュア無線の延長でパソコンを触り始めたから……無線機ショップに正規パッケージが届いていたかというと、届いてなかったんじゃないかなぁ。
 
なんでこんな話したかと言うと。
私のとこに届いた「ブラックオニキス」はフロッピーディスクに入っていたが……既に誰かが育てたキャラが入っていた。2人しかいなかったが、その2人だけでクラーケンを撃破することが可能だった。確か、Lv9ぐらいだったと思う。
で、5人パーティってこともあり、2人にくっついて、自前の3人のキャラを井戸の底に潜らせて、探索を続行。
まぁ、クラーケンより弱い敵パーティなんて、2人が蹴散らす訳だけど。
そこでお金が手に入るのな。
そこでまた、絶叫ですよ。
強い敵……まぁ、墓場の地下1Fの敵なんかより、断然強い相手なんですが、そいつらを倒すと、すげーお金が手に入る。
 
強い敵。
たくさん、敵を倒してきたから強い。
だから、お金たくさん持ってる。
 
「あぁ、この世界って、強いから、お金をたくさん持っていられるんだ」
 
……と、世界観を実感した。
あー、TRPGの存在を知ったのは、ずっと後の話ですし、今になって思い返すと、「それはどうだろう」とも思う「気づき」なんですがー。
 
その後、(やっぱりコピーで)ドラゴンスレイヤー(発売1984年)をプレイしたり、ハイドライド(やはり発売1984年)をプレイしたりして、FC版ドラゴンクエスト(1986年)の頃には、RPGの概念は完全に理解していました。
ちなみに、父親が「ゲームをコピーすることは悪いことだ」と教育するどころか、率先してゲームをコピーして貰ってきてたから、罪悪感なんか全くなかったねー。
マジコン世代も教育次第なんだと思うよ、マジで。
 
ついで。
「LABYRINTH ニスの財宝」は序盤でプレイ放棄。
あのゲーム、ゴブリンとドラゴンに序盤から同じ確率で出くわす、という、「ある意味、この世で最もご都合主義のないダンジョン」だったので、チートでもしなきゃ、キャラが成長しないんですよ(笑)。
 
ブラックオニキスも、最終盤でプレイ放棄。
ブラックタワーに侵入したものの、マッピングに失敗。
伝説の宝石・ブラックオニキスを入手するも、地上に戻る階段が分からず全滅。
 
結局、1985年発売のハイドライド2、ザナドゥ、無限の心臓2まで、クリアしたRPGというと、作業ゲーのドラゴンスレイヤーだけだったんじゃないかなー。あれ、面がループするから、クリアってものが存在しないけど。
あぁ、ハイドライド2は正規品を買ってプレイしました。ザナドゥと無限の心臓2は、やっぱりコピーでした。
 
……と。
このような話についていける人は、冒頭の小説を手にとってもよろしいのではないか、と。