TRPG「ファイヤード」

TRPGの話をこんなとこでしても、誰もついてこない気がするんですが。
それでも、心に憤りがある以上、どうしても書かざるを得ないんですよ。
TRPGやったことのない人、更に、ファイヤードに興味がない人は、置いてきぼりにします。
 
グループSNEファイヤード
 
友野祥って人が、自分のGMの技術を惜しみなく詰め込んで作ったシステム、ってことですが。
 
ルールブック見ただけでは、何が面白いのか、分かりません。
TRPGって、GMとプレイヤーが揃って、ようやく物語が完成するものなので、ルールブック見ただけでワクワクするのも変な話ではあるんですが。
ぶっちゃけ、TRPGに出会って20年以上、今も現役で新作TRPGを遊び続けている私から見ても、このゲーム、ルールブック見ただけじゃ、どうも何が楽しいのかピンと来ない。
 
コンベンションに出かけ、ファイヤードのセッションにプレイヤー参加し。
デザイナーの友野さんと酒の席で同席し。
自分がGMでテストプレイしてみて、ようやく分かってきた。
 
このゲーム、面白い。
GMがこんなに楽なゲーム、ブルーローズ以来だ。
 
ブルーローズは、随分前に話したけど、基本的に対立構図は「GMが無茶なシチュエーションを提示する」→「PC達が何とか無茶を跳ね除ける」ってもの。
いや、成功判定とかはあるのよ?
でも、私がGMやってて楽しいのは、「さぁ、この理不尽な攻撃をどうかわす?!」→「そう来たか!(ゲラゲラ)」という、あの手この手でPCが突破手段を考えてきて、危機脱出の為に様々なプレイングを仕掛けてくるのが楽しい。
自分でスリルシーンを作っておいて、それを他人に土壇場で解かせるんだから、面白いに決まってる。
こんな素晴らしい即興劇を見る為なら、シナリオ作りの手間(見せかけだけでも、考古学風味の味付けをする為に、色々と準備してた。最強のサプリメントは「世界地図帳」)なんて苦労にすら入らない。
 
ここで重要なのは、プレイングの目的と手段の話。
よくあるプレイヤーの勘違いとして、「何をやるか」を重視して、「何をやりたいのか」を言わないってのがある。
多分、物語を読んだり・書いたりする時は、「何をやるか」を先に描写して「何をやりたかったのか」をオチにするのが常だから、そういうプレイングをするんだろうけど……私がマスタリングする時は煩わしいこと極まりない。
 
「何をやるか」なんて方法論は後回しでよくて、マスターが一番知りたいのは「何をやりたいか」という目的なのよ。
目的が分かっていれば、どんな演出をプレイヤー側でやってようと、安心してみていられるけど。
目的が分かんなかったら、「これ、どういう演出なのよ」とプレイヤーの発言をずっと見ていなければならず、時には、マスターから提案してPCの行動を修正しなければならない。
 
ブルーローズは、各シーンで「理不尽な攻撃をかわす」という明確な目的をGMがプレイヤー達に突きつけるため、GMはプレイヤーが出してくる方法論を安心して見ていることが出来た。
たとえ、どんな演出だったとしても、マスターの提示した目的に繋がっていることは間違いないから。
 
で。
最初は分からなかったが、ファイヤードも、そんな気配がする。
今回は、スリルシーンを自分で描写する必要もない。
プレイヤーが勝手にスリルシーンを提案して、勝手に突破する。
GMの私の仕事は、ルール部分の管理をやってるだけ。
 
ステージの目的は「敵を倒す」って感じで、最初から示している。
どんな敵がいるのか、どれだけの数がいるのか。それは、GMが描写してもいいし、プレイヤーが提案してもいい。
PCがどんな行動してようと、どんな演出をされようと、システム的には「ステージクリアの為に成果数を溜める」という目的に突き進んでいる。
 
プレイヤー側としては、単に自分のキャラが目立つよう、ひたすらロールプレイング(それはキャラクタープレイングと揶揄されるかもしれないが)をしていればいい。
ただ、ルール部分、すなわち、成果を積み重ねて推奨行動や情報収集をクリアしていくことだけ忘れなければいい。
 
こうなると、もはや、天羅万象とかヒーローウォーズとか「判定を振って、ロールプレイを後付する」とか「GMや他プレイヤーにプレイングを評価してもらう」とか、そんなのとは、全然次元が違う。
GMの作ってきたシナリオの流れと、プレイヤー間の空気を読んで……なんて必要ない。
 
今までのゲームは、「目的 → 目的を達成する為の方法論 → 方法論に沿ったダイス判定」だったのが、ファイヤードだと「目的 → 目的に沿ったダイス判定。方法論は全く好き勝手」となる。
こんなの、セッションが事故るはずがない。ダイス振ってれば、確実に目的に関わって来るんだから。
「目的と関係ないとこで好き勝手する」ってのが、構造的に不可能だから。
 
ファイヤードは、プレイヤー同士・マスターとプレイヤー間の相互理解すら必要ない。
骨子部分は極めてシンプルで「成果数を溜めるだけ」。
にも関わらず、「プレイヤーの演出は全て有効」「順番が定められている為、自分のキャラのシーンが出てくる前に行われた演出を引き継ぐことも出来るし、無視することも出来る」。
それゆえにプレイヤー間にコミュニケーションが生まれるという……あれ、TRPGの面白さの真髄に近いゲームなんじゃないか、なんだこれ。
 
今の私の「ファイヤード評」は、「この世で最も、原初的なTRPGの楽しみ方の出来るシステム」っていうもの。
TRPGの面白さの真髄とか、原初的なTRPGの楽しみ方って何か、と言うのは、私も上手く文章に出来ない。
別に、「それ」は「ファイヤード」でなければ表現できないものではないんだが。
 
うん。上手く書けないな、これ。